メンバー、チャイの想い

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はじめまして、こんにちは。

チーム・オーレのメンバー、チャイです。

年齢は20代半ばです。今は関東に住んでいます。

大学受験の時、休みの日は朝から晩まで塾通いをしていました。

もちろん晩までは授業はやっていませんが、夜は自習をしていました。

もともと生真面目なたちなので、勉強時間は分単位で手帳に記録し、1日の目標時間に達しなかった場合は自分を責め、次の日は自分を更に追い込む、という生活を続けていました。

すると段々と体調に悪い変化が訪れてきたのです。

はじめは、不眠の症状が現れました。心身は疲れているのに、全く眠気を感じず、眠れずに一晩過ごしたこともありました。

また、場面に関係なく息苦しさや動悸が頻繁に起こるようになり、「自分は心臓や肺が病気になってしまったのか?」などと考えることもありました。

最終的には、学生が多くいて騒がしい教室にいるとどうしようもなく不安を感じてしまい、苦痛を感じるようになってしまったため、学校を早退したり休んだりすることも増えていきました。

この頃から、親の勧めで精神科に通院し始め、不安障害との診断を受けました。

しかし、体調が悪くなってからも勉強は続けていたため、入りたかった大学に合格することが出来ました。それが2月頃のことだと思います。

そして、高校の部活動での卒業旅行を企画した7日後、2011年3月11日14時46分。

東日本大震災が起きました。

自分は東北の人間なのです。

当時、私は山間部の方に暮らしていたため身の回りの目立った被害は建物や路面にしかありませんでした。

ですが、緊急情報を伝える外枠に囲まれたテレビ画面、ブラウン管越しに延々と繰り返される、どす黒く狂暴な津波がそこで暮らしていたはずの人々の暮らし、平穏な日常、そして命を無慈悲に奪っていく、その光景は実際の被災地にいない私からも何か大切なものを根こそぎ奪い去っていくようで、感情が残らず死に絶えたような印象すら受けました。

およそ6年と5か月経った現在でも、悪い夢であって欲しかった、地獄を地上に丸ごと持ってきたようなあの光景が私の脳裏から離れることは1日たりともありません。

震災の少し後から掲載されるようになった、新聞の日付の下、毎日増えていく亡くなった方や行方不明の方の人数、それも忘れることが決して出来ない記憶のひとつです。

代わりに出来るものなど存在しない、思い出も喜びも悲しみも感じていた、ひとりひとりが確かに実在していた人たちなのに、その終わりを数字でしか表せなくなった、津波により喪われたいくつもの命の数。

インクで印字されただけの無機質な数字に、どれほどの、無念さと苦しみと悲しさがこもっていたのでしょう。

チャイ

オーレです。チーム・オーレのメンバーのチャイさんの辛い体験談を書いていただきました。

この続きは次のページで。

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